やじろべえ

生きる上で味わう充足感とは何か。
最低限の物質的要素も満たされないなかでは、いくら精神的部分を唱えても幸せを保つに危うい。
しかし、例え物質的に満たされた世界に生きていようとも、心まで充足感が得られているかといえば決して全てがそうとは限らない。
両方を満たした人生であれば万々歳であろうけれど、そう首尾よくいかないのが人生。
個々人の人生を機軸として、やじろべえ的観点からすると、双方のバランス如何ということになる。
一見恵まれているかに観える物質的部分も、欲求の度を越せば、いつしか蹂躙された心は幸せのバランスを失い、真の役目を忘れてあらぬ方向へ一気呵成に傾いてしまう。
尽きることのない物質重視の、その量的視点からすれば、心の充足感等、真の価値ある幸せとして、推し量ることも捉えることもできなくなる。

「やじろべえ」的観点において、物質的重視で捉える人間には、量の対極は量であり、そこに無重力的に存在する、決して枠に囚われることのない心の重みというものに価値を見出す事をしない。
結果、求め続ける物質的満足に、際限のない自らの負荷を掛け続けることになるのだ。
そしていつしか心は放棄される。

それに比して、生きる上において心の大切さを分っている人間にとっては、重石に重石、量に量という対極はなく、まるで風のように空気のように、物質の大小にうまくバランスをとることができるのである。

小は小で歓びを持ち、大は大で心引き締め必要以上を望まない。
本質が分れば、多くが見過ごすような部分にも大きな幸せを観ることができ、何かを期待し過ぎての落胆も少ない。
人生における充足感を持てる生き方とは、物質をもコントロールできるしなやかなる心を持つことだろう。 記:2009.2.2

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