現代社会

親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ拡がる、10代、20代の女性の貧困実態を描いたNHKのドキュメンタリー番組を見た。

世間には、早朝から夜遅くまで、掛け持ちで働いてもなおつましい生活以下の、日に三食の最低限の生活にも満たない環境が存在する。
彼女らが求めるのは、贅沢を求めるものでなく、朝から夕方迄働いて、普通に生きていけることだ。
中学を出た女の子が、高校へも進学できずに働いて一家の家計を支えている世の中。
現代の日本経済を構築してきた、汗水ながして積み上げていく企業風土は失せ、情報社会の波に乗った軽々なる儲けや、限りない不労所得の追求が蔓延し、益々雇用の場は縮小している。
消費税のUPは、入りは何も変わらず更に重しとなっているだけだ。

それでも彼女らは懸命に一日を生きようとしている。
夢と希望を持ち、自力で現在地からの脱却を模索している。

かって私にも困窮の時代があった。
今も決して贅沢をすることもなく、またそんな身分でもない。
そんなわたしが過日、とてつもなく恥ずかしい思いをしたことがあった。

営業途中のサラリーマンやタクシーの運転手がよく利用するカウンター席だけのうどん屋。
時折行っていた私は、その日肉うどんといなりを一皿注文した。
直ぐ様一人の客が入って来て私の横に座った。
近くの工事現場で働いているかのような作業服姿で今時風の茶髪の若者が注文したのは、かけうどんのみだった。
隣同士の私とその若者。
やがて目の前に出された、肉うどんといなりの横には、労働には不十分と思われるかけうどん。
私は箸を進めるにも気が重く、恥ずかしさでいっぱいだった。
昨日も番組を見ていて同じ思いが込み上げてきた。
人間はややもすると大切な事を忘れがちでもある。

ひたむきな人間を参集できれば、儲けの才なくとも真の良い仕事ができると思いつつも、雇用を産み出すにはなんとも非力だ。

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