現代社会

ガラケーの私は、メールを打ち切らない。
数行打つのに時間と労力を使い相当なストレスだ。
だからいつも殆ど「了解」で済ませている。
昨日、LINEのiPhone用をやってみたが、やはりちょこちょこ打つのは苦手だ。
「ラインでは、顔出ししている人はいない」と言われ、とりあえず変えたけど、そんな感じで使うのも苦手。…
携帯もラインも、目の前でこそこそ的やり取りする光景は好きではない。
思えば、Facebookで言いたい放題、口汚く世や人のことを辛辣にあれこれ言っている人達を見れば、何故か大概において自分を顔出ししていない。類似している。
2ちゃんネルに1分もいれば気分が悪くなる。
昔、趣味のサイトのSNSの世界にいたことがあるが、ニックネームのやり取りの中で、誹謗中傷が飛び交っていた。

誤解しないで欲しい。
私は、このSNSの世界はある意味ノーベル平和賞ものだと思っている。
9年前に楽天ブログを始めて思った。
世には、なんて素晴らしい個性を持った人が多くいるのかと。
饒舌、寡黙・・等々、我々は得てして外見や一面で判断するけれど、人は皆、誰しも得意とするものがあり、内包する唯一無二の輝く個性を持っている。と。
それに気づいた時、私は多少他人に対して優しさを持つことができたのだ。
本来なら到底知り合うこともない遠隔地の人の心に触れることのできる世界は、やはりノーベル平和賞ものだと思う。
有難きコミュニケーションツール。

実に便利な世の中。
が、私的には、メールを早打ちできる妻の姿を見たくはない。幸いできないが。

進歩する機械によって益々人が存在できる場が失われている。
自動運転の車。マイナンバー。
人間は、際限のない利便性追求の裏で大切なものを手放しているようにも思える。
やがて司法の世界も、膨大なデータにより善悪を判断され刑が確定したりするのだろうか。
教育の世界もしかり。
何かある度、教育側が頭を下げ、糾弾される 場面ばかりが画面に流れる。
拳骨が暴力でなかった時代。
誰がどう、一方的でなく、全体が何か大切なものを忘れ、心を手放しているようだ。
このままでは何ら解決をみない。

チャップリンが、発展する文明に支配されていく人間を風刺した映画「モダンタイムス」。
正にそれが現実化している世の中。

医療の世界もやがてロボットが手術をしてくれるだろう。
既に、患者に接する医者は、傍のパソコン上のデータを見ながら患者を診ている。
勿論良いところはありながら・・
「問診」という言葉が遠い彼方にあるような気がする。
対峙する相手の心を汲み取る専門家がどれだけいるだろう。Dr.コトーは何人いるのだろう。

チャップリン

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