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海原の向こう

気がつけば、随分と海辺近くに来たものだ。
既に親はなく。何時迄たっても、子を想う親の気持ちは変わらぬと気づく立場に入れ替わり。言葉も動作ももどかしく、例え見る姿は老いていても、その眼差しの奥には、溢れるばかりの想いが存在していたに違いない。
親が生きた人生。施設に見舞う束の間を、どれだけ親の目線で触れることができただろう。
親がいて自分がいて。。

子供の頃、そして青年期・・死は、松林や堤に隠れて伺うことも身近に感じることもありません。松林や堤は、祖父母であり父母であり。やがて一人逝き二人逝き。堤の向こうに死という海が垣間見えてきます。親はいつまでも元気に、子の幸せを願い松林や堤でいたいものです。親がいる間は、気軽に立ち寄る場所があります。親が居なくなれば立ち寄る場所も故郷もなくなります。今度は、我が家が皆の立ち寄る場所として存在することになります。記:2013.4.1

山口県萩市菊ヶ浜にて

相談Dr.Next