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風呂敷のように

ふと思った。
物に合わせてどの様にも形を変え包み込んでしまうしなやかさ。正に包容力的柔軟性。風呂敷って案外いいなと。

人は知らず知らずの内に、がんじがらめに守り固執するような、そのような人生に囚われていないだろうか。手に入れるごとに地位や名誉や物質に囚われ翻弄され、山の様に積み上げているのは、黄金色に輝く金銀財宝ではなく、観るによっては瓦礫の山の光景かもしれない。

大切と思うものを分厚い鉄の塊の金庫で守り、それをまた、失わないように更に強固な壁で囲っていくような、内に向いた際限のない欲望。鉄の金庫的なものなど、やっかいなものだ。簡単にどこへでも持ち歩くこともできない。周りに身内に、取り合いってこともまた起こる。空っぽに捨てられた鉄の塊など、傍迷惑に場所を占領してしまうただの廃棄物に過ぎない。
そして、例えば地位肩書きや数々の物質的財産を鉄壁な守りでしたとしても、人の心までは捕えておくことはできないのだ。
国家もまたそうだ。失う恐れに幾重にも防御を施していこうと、がんじがらめに永遠に、人心を籠の鳥の如く捕えておくことはできない。心不在にして物質に囚われると、失う恐れに苛まれ続けることになるのだ。

形を変え場所を変え、優しく包み込んでいく風呂敷。
必要以上に囚われず持たず、そして邪魔にならず、触りの優しさは決して人を傷つけることもない。必要に応じて取り出し、そうでない時には、そっと懐に仕舞っておくことができる。
魂もまたしかり。この上なく自由な魂というものは、金銀財宝、名誉地位の比にならない価値を持つ。時々に形変えながら、風呂敷の変遷こそが、その人の人生。人生の終わりには、振り返る道すがらに想いを馳せて、その人が知る人生をそっと丁寧に折りたためばよい。2010.3.31

相談Dr.Next