お役立ちコラム

顧客満足は、期待値を超えた感動によって成立する

あることで、立て続けに二人の専門家に会った。
一人には、得意とする専門の、部分ばかりを上から目線的に話すことに終始された。勿論、相手にそのつもりはないのだだろうが。
が、こちらの想いなど入り込む余地もなく、またとても汲み取ってはもらえないと思った次第。
片や、ついこちらが一方的に熱く語るのを柔らかく受け止めてもらいながらも、適切に分かり易く、想いの部分に応えていただき、心に満足感が残った。
同時に、今後、仕事を依頼していく上ににおいて互いに噛み合えるとも思った。

よくあることだ。私も要注意。
日々の仕事において繰り返される、我々としては慣れた専門部分。
が、相手は、言葉一つにも馴染みのないことって多々あるのだ。解っているのはこちらだけ。
専門家ほど、つい素人としての相手の気持ちと乖離していくのに気づかない。

下に見下ろすでもなく寄り添う部分。
相手の考えるところをしん酌しながら適度に間合いを取り、丁寧に心に対峙する。
当然、信頼を得る為には、専門家としての知識と提案力は必須。

今回、改めてヒアリングの大切さを感じた。
人は選択することもできれば、選択もされる。選択権は対等。
必要とされる側に入るのかそうではないのか。
専門家に限らず、肝に銘じておかなければならない。

期待を超えたところにある価値と満足

さて、私事ながら、先般より着手した自宅のリフォームは、設備も取替えてのほぼ全面改装となった。
私の仕事柄、リフォーム業者はいくつか知っている。
賃貸の入退去に伴う一般的補修でも付き合いの業者はいる。

今回は、妻の知人の紹介によりある業者を紹介されそこを使うことにした。
提案から、品物の選択等々を私は一切口を出さず全て妻が行った。
私より日常時間を多く過ごす妻の方が、使い勝手を含め打合せの主となった方が良い。
結果、徐々に仕上がるのを見ながらそれは正解だったようで、何よりその業者さんでとても良かったと妻は言う。

責任者の大工さん、コーディネーターの女性。
専門的な立場とご都合主義から一方的押し付けられるままでもなく、依頼主の心を包み込むように依頼者と共に作り上げていく。
ただ新しくなっただけではい、参加型の工事。そしてその仕事ぶりと提案力に十分信頼できるという。
他所に単に付き合いで依頼していたら、作業に終始した中で、なんとなく中途半端な満足感しか得られたなかっただろう。
今回、選択の結果として、マンション一室のたかだかリフォームとはいえ、相応の支出以上の対価(満足)を得たことになる。

共感協同作業

これまでHPを何度か作ってきながら思う。
「良いものを作ってください」と、作り手に丸投げでは納得のいくものなどできるはずもない。
否、それでは、依頼される側も力が入らないのではないか。

クリエーターは作り上げることに喜びを感じるはずだ。
依頼する方も依頼される方も、互いに信頼の歯車が合うかどうかも大切なところ。
相手のレスポンスも速ければ互いにストレスフリーだ。
仕事において、組む相手に求めるのは信頼性と想いの部分。
共に夢を描けたら楽しいではないか。

通教で学びながら、学習会やスクーリングに参加した場での我々学生の年齢は、20代から60代までと幅広い。
生徒は先生に鋭く質問し、先生がそれに丁寧に答えるのを見ると、先生もとても楽しそうだ。
寺子屋的教室は熱気に溢れ、今更ながらクラスメイトと先生の一体感が心地よい。
先生は言う。
「通学生より皆さんの方が余程に熱心です」と。

作る喜び。知る喜び。
事を成すには情熱が必要。
互いの想いがダブルところに生まれるものがある。

専門職人、演奏者、料理人、芸術家、映画製作、その他ものづくり・・
創造者にとっては、受け手の反応が何よりに創作意欲の励みになるもの。
例えば、クリエーターへの依頼者が、彼ら創造者の気持ちを捉えられるか。
単に対価を払い丸投げ依頼するのと、依頼者側にも熱意と理解力をもって、共に創り上げるのだという姿勢があるとでは、やはり微妙に成果にその差が現れるだろう。

住まいを購入する。家を建てる。リフォームする。
請負う側の専門的立場での信頼は当然ながら、依頼するには是非とも共感できる相手を選択したい。
適切な撰択によって得られる価値(満足感)の差は大きい。

相談Dr.Next